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  • 煌神羅刹 / 陰陽座


    わたくしの舎弟達が強く推すのでチェックしてみたところ、なんとも懐かしいジャパメタサウンド! コンセプトもバッチリ練られていたり男女のツインボーカルだったりで面白いし、歌詞がほぼ日本語オンリーというのもいい。


  • De mi Corazón al Aire / Vicente Amigo


    血管の中を流れる血のスピードが違うんだと思う、絶対。単に技術とかの問題ではない加速力! でありながらも美音なんだよなあ。やはり我々はわびさびとか曖昧さで対抗するしかないか・・・。


  • Donavon Frankenreiter / Donavon Frankenreiter


    ジャック・ジョンソンのプロデュースなだけに、やはり通じるサウンド。技術陣も良い仕事してるなあ、何しろ気持ちイイすよ。


  • わすれもの / Rei Harakami


    ふとしたキッカケで聴いてみたら、すごく気に入ってしまった。エレクトロニカ、って事になってるらしいけど、とても情緒がある。


  • Songs In The Atic / Billy Joel


    初期のライブ音源を集めたアルバム。高校時代に自室でヘビーローテーションしてたっけなあ。今聴いてもなかなかイケる。


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2002年8月

2002年8月29日 (木)

「信じられない程」とか、簡単に言うが・・・

このホームページを作って間もない頃、僕は春日師匠つながりで「ソ・ウヨン」という韓国人歌手のCDのレコーディングを手伝った事があった。
思えば、あれからもう2年半以上経ってしまったのだが、そのウヨンの新作をまた同じチームで作る事になり、じわじわとその作業が開始されている。
そのレコーディングでは何と言っても、元・憂歌団の内田勘太郎さんの参加が思い出に残っているが、今回はまだまだゲストプレイヤーを呼ぶ段階には至っていない。
早くも〆切間際の事を想像すると不安になる(常に最後は切羽詰まる事になっている)が、僕が騒いでも仕方がないので、自分の役割を迅速にこなすしかない(笑)。

そして、26日の作業を早めに切り上げた師匠が
「ちょっと面白そうなライブがあるから、一緒に行かないか?」と
誘ってくれた。
その日はウヨンは風邪気味でホテルで倒れていたので、二人でそそくさと赤坂ブリッツに向かう。
出演は「ロキア・トラオレ」という歌手(アフリカの西海岸の国、マリ共和国からやってきた)と、「マハラジャ」というインドのグループだった。

まずは「マハラジャ」とやらの登場。
見るからにインドそのもの、という民族衣装をまとった数人の男性が、ステージ上にちょっと高めに作られたセットの上に座る。
まずは笛を携えた一人がおもむろに吹き始める。
「ぴーーーーーーーーー・・・・・・・・」
延々と無限に続くロングトーン。
いわゆる循環呼吸というやつだ。
しかし、それだけではない。
なんと、同時にメロディーが鳴り始める!!!
よく見ると、笛を二本くわえているようだ。
し、しかし、いったいどーなってんだ????
だって、一本の笛に絶えず息を吹き込みながら、もう一本の笛は吹いたり止めたり自由自在って、そんなの物理的に可能なのか???
どうにか仕組みを解明してやろうと目を凝らしていると、弓で弾く弦楽器系の奏者の音が重なり始め、そのあとさらに二人が登場し、両手を胸の前で合わせてお辞儀をしてから座った。
と、次の瞬間、そのふたりが、もっっっっっっっのすごいグルーヴでリズムを刻み始めた!!
一人は立て膝の体勢で、両手にカスタネット系の音を300倍強力にしたみたいなやつを持って「スッカラカカッカカカスカカンカラスカカ・・・・!」を超絶な高速で繰り出す。
もう一人は、両面に皮がはってある太鼓を手で叩くのだが、そのサイズからは想像もつかないほどの「鳴り」で迫り来る。
ああ、文章ではいかんとも伝えられないなあ・・・・。

さらに、全員がボーカルも兼ねていて歌うのだが、これがまた超強力で、だんだんと会場はトランス状態に入っていく。
曲が進み、鮮やかな民族衣装をまとったお姉さんが登場する。
その居ずまいを見て
「お? インドの映美ちゃん(上々颱風の歌手です)か?」
と師匠がコメント。
やがて、ステージが佳境に入り、お姉さんが踊り始めたが、これがまた、一体どーなっちゃってるのか、という動きだ。
とにかく回るのだが、もう、「人間・遊園地の回る系アトラクション状態」である。
とてつもない演奏と歌と踊りで、誰もが興奮のるつぼと化した。
こんなのをやられて、カラダが動かないヤツなんかいるのか?

45分ほどの演奏が終わった瞬間、明らかにとんでもないものを目撃した、という空気が客席全体を多い、割れんばかりの大歓声。
よく「信じられない程の」というような形容詞を簡単に使ってしまう我々だが、とにかく、人生始まって以来くらいの「信じられない」パフォーマンスだった。

ここで15分間の休憩に入る。
「師匠、僕はこんな物が地球上にあったなんて、って気分なんですが、世界中でいろんな音楽に接してきた師匠的には、今のはどうなんすか?」
「いやいやいや、勿論、大変な事っすよ、こんなの・・・・。ちょっと簡単にはお目にかかれない物でしょう。僕もこんなに驚いたの、ホントに久しぶりだなあ」
「何か陳腐な物言いかも知れないけど、音楽ってこんなにチカラがある物だったんだ・・・、って思いました。」
みたいなやり取りをしつつ、しばしぼーっとする。
師匠がCDを買ってきて、そのライナーノーツで知ったのだが、この「マハラジャ」というグループは、いわゆるヒンドゥー系ではなくてイスラム系らしい。
インド音楽と聞いて即イメージするタブラやシタールは全然登場しなかった。
メロディーも、なんと言うか、とても「アジア的」(まあ、インドはアジアなんだけど)。
日本語がそのままハマって盆踊りででも流れてきそうな旋律も登場したし、全体的に哀愁を帯びた感じもあった。
しかし、グルーヴはめっちゃくちゃ凄いのである。
「マハラジャ」は、インドでは砂漠の民で、世界中のジプシーの原型みたな物を継承しているらしい。
カーストも低くて、ほとんど人間とは認められていない系(なんか語弊があるが、現実としてそうなのだろう)の人達だそうだ。
僕は全然違う意味で、自分と同じ人間とは思えない気分だったけど。

と、そこへ一人の女性が近づいてきて我々に微笑みかける。
あら?
何と、ホンモノの(?)白崎映美ちゃん from 上々颱風!
「いやー、さっきのインドのお姉さん見て、映美ちゃんの話をしてたとこなんだ!」
「あらまー、そーなのー?」
「すごかったねー、今の・・・」
「ほんとすごかったね。あたし、最初のところ、見はぐっちゃたんだよなあ・・・」
などと和んでいたら、休憩も終了し、後半の「ロキア・トラオレ」が始まる気配だ。
さて、再び場内へ。
まだ客席は先ほどの興奮の余韻が残っている状態だったが、実はこの夜はまだまだこれでは終わらなかったのだ。

次回に続く。

2002年8月23日 (金)

ヒザから下

無事、文化放送でのレコーディングも終了。
今回のミックスは何と、放送局の調整ルームに機材を持ち込んでの作業だった。
なかなか聞かない話で、ちょっと貴重な体験。
隣のスタジオでは、昼間は泉谷しげるさんと篠原涼子さんが何かやっていた。
夜になるとやはり、「パッと行こうぜライオンズ、パッと行こうぜ文化放送」である。
今年は、久々に巨人×西武の日本シリーズになりそうだ。
とりあえず、清原にはビシッと決めて欲しいもんだが・・・。


で、そこに自分のマックを持ち込んでいたので、終了後は当然、撤収。
G4本体はまあいいとして、ディスプレイが19インチのCRTで、これが結構重たい。
25キロくらいありそうな感じ。
しかも、非常に持ちづらい。
そういう時に限って、かなりの勢いで雨が降り出したりしていた。
車に積む時は、スタッフが手伝ってくれたから良かったものの、家に上げる時は当然一人である。
翌日は早々に開始しなければいけない別の作業があったので、どうしてもその日のうちに部屋にセッティングし直しておきたかった。

着いた時、一際雨足が強まった。
かといって、重いディスプレイを見るからに非力な僕が両手で抱え、傘なんぞ差す余裕は全くない。
でもびしょ濡れにしている場合でもない(車から屋根があるところまでは10メートル足らず)ので、とりゃっ! と勢いを付けて歩き出した瞬間・・・。
柔道で絶妙な足払いをかけられたかの如く、思ったより傾斜していた歩道に足を滑らせて僕のカラダは回転を始めた。
もう、その体勢だと受け身もへったくれもない。
しかも、大事な機材を抱えているという意識が、反射的にディスプレイを絶対離すまいという方向に作用してしまった。
しかし、何とかソフトランディングしようという一瞬の努力も空しく、これ以上ないという程の勢いで大転倒。
次の瞬間、アスファルトにもの凄い音を響かせながらディスプレイは叩きつけられ、僕自身もどこをぶつけたのかも定かでないような感じで地面に這いつくばっていた。

そんな時、妙なもので、深夜で周囲には誰もいないにも関わらず、誰かに言い訳とも解説ともつかない口調で訴えるかの如く
「まーったく、重すぎなんだよなあ、これ、しかもサンダル履きで雨のアスファルトは危ねーよなー!」
とかなぜか大声で口走りつつ、心の中では
「ああ、これでこのディスプレイも終わった。最近、長時間見てると目がチカチカするし、液晶に買い換えろという神様のお告げなのかもなあ・・・」
などと3秒間のうちに考えていたりしたのであった。

とりあえず、大急ぎで部屋に上げて丁寧に水分を拭き取り、電源を入れてみると・・・。
不思議な事に、全く問題なく作動し始めた。
「おお、なんてラッキーな!」
と思った次の瞬間、実は自分のヒザがもの凄く痛い事にやっと気づいた。
恐る恐るズボンをまくってみると、小学生がすっ転んだ時のように、擦り剥きまくっている。
マキロンを目をつぶってたらし、懐かしい悶絶がやってきた。
「ひーーーー、しみるーーーーー! 全然ラッキーじゃねええええ!」
その時僕は、イナバの白ウサギは皮を剥かれて赤ハダカ、しかも騙されて全身を海水で洗うように言われ、その通りにした時にはどんなに可哀想な状況だったか、などと本気で考えていた。
ひざ小僧だけでこんなにしみるのに・・・。


さて、数日経ち、今やかさぶたが引きつれてまだまだ痛いし、しかもその下は全体的に大きな青アザになっていて我ながら非常に気の毒なヒザであるが、まじまじと見ると、僕のヒザから下は極端なまでに傷だらけである。
思えば年がら年中、どこかにぶつけたり小さく擦り剥いたりしているのだ。

いつだったか、占い師に
「あなたは足の怪我と胃腸の不調にだけは気を付けなさい」
と言われたっけなあ。
大当たりー。 

「それ以外は、見た目によらず丈夫なので長生きするでしょう」
あ、そう。
そらよかった。
「お金が儲かる事は、なかなかないでしょう」
あ、そう。
「花開く時期があるとしたら、60才頃でしょう」
あ、そう。
くうー、まだまだ先だなあ。

つーか、「あるとしたら」って、どーゆー事だよ!

2002年8月21日 (水)

ジュリー!

某歌手が自分のライブで沢田研二さんのかなり昔の曲を歌う、という企画をして、その曲のカラオケ音源を作る仕事を依頼された。
今まであまりカラオケ制作はやってこなかったのだが、実は意外と嫌いではない。
ゼロから生み出す余地はなく、既に完成している音を非常に注意深く聴き込み、全ての要素を洗い出してコンピューターに演奏データとして打ち込んだり、ギターパートなどは自分で弾いて録音し直したり、という、まあ非常に地味と言えば地味、職人芸と言えばそうとも言える、そういう作業である。
たまにやるから案外楽しめるのだが、これをひたすらこなしていくようなコラえ性は僕にはないのだ。

さて、原曲をカセットテープでもらったのだが、最近ウチのカセットデッキが不調なのでCDかMDでも欲しいと思い、こんな時に頼りになる泉見洋平(古い歌謡曲にやたらと詳しくて、音源もいろいろ持っている)に電話した。
「というワケで、ジュリーの『愛の出帆』ってのと『指』っつーのが必要なんだけど・・・」
「えっ? なに? うーん、知らないなぁ・・・。いつ頃の曲なんですか?」
「いやあ、俺もよく知らないんだけど、微妙に古そうな感じ」
「・・・・わかりました、ちょっと、我が家のライブラリーを探索してみます」
で、数日後、彼と会う機会があった時に、MDを持ってきてくれた。
「『愛の出帆』は、何かのライブテイクみたいなのがあったので、入れてきました」
「おお、助かるよ!」
「でも、『指』っていうのは、わかんなかったなあ」
「そっか、残念。テープで聴いた感じだと、80年代中盤くらいのアレンジっぽいんだけどねえ」

というわけで、『指』は、オンボロのミニコンポで再生したしょぼーい音を無理矢理パソコンのハードディスクにダビングして、それを聴きながらのカラオケ制作となったのであった。
その後数日間、僕は朝から晩までジュリーと格闘し、なかなかのクオリティと自分でも思えるオリジナル・カラオケを完成させた。
達成感が嬉しくて、別の用事でやってきた豪宙太に無理矢理聴かせたりした。
彼は苦笑しつつも、力作ぶりを認めてくれたようだった(いやー、我ながらホントに力作!)。

さて、『指 Made in 門前仲町』が完成した翌日から、別の某レコーディング(詳細はまた後日)のために、僕はパソコン持参でラジオ局の文化放送にカンヅメとなった。
前日までの「打ち込み職人」から打って変わり「変則レコーディングエンジニア」へと立場をチェンジしたわけだ。
細かい録音方法などは僕に任されている部分も多かったので、初日はさっそく、文化放送の技術担当者などと細かい打ち合わせをした。
打ち合わせが終わり、ロビーで一息ついてタバコを吸っていたのだが、ふと目の前の椅子に誰かが座ったなあと思って、視線を上げてみると・・・。

ジュリーだった。

志村けんさんと一緒に番組をやっていて、それの収録で来ていたのだ(と、後から知った)。
僕はすかさず
「あ、おつかれさまです、いやあ、奇遇ですね、ところでですね、なかなか資料が手に入らないで大変だった『指』なんですけどね、あれはいつ頃の録音で、なんていうアルバムに入ってるんでしょうか、あ、もう昨日完成させたんですけどね、結構いい出来なんですがね」
と、まくし立てそうになったが、辛うじて思いとどまった。
奇遇なのは僕にとってだけで、ジュリーにしてみれば
「?」
以外の何物でもないので。
タモリだかさんまだかが言ってたが、毎日のようにテレビで彼らを見ている視聴者の中には、実際に街などで彼らに出くわすと、すごくよく知っている相手と会ったように錯覚する人も多いらしく、妙に親しげに話しかけてきたりするらしい。
何だか、それとほぼ同じような感じになってしまった僕であった。

それにしても、ジュリー、なんだかとっても悲しい事があったかのような暗ーーーい表情をしていたなあ。
疲れてたのかなあ。
せめて
「カラオケ行った時は、よく『憎みきれないろくでなし』を歌わせてもらってます、『OH!ギャル』もです、友人のチャオってのが、全然似てない物まねで『危険なふたり』をやったりもします、自分がやってるバンドで『花・太陽・雨』もカバーした事あるんです、というわけでありがとうございます(何が?)、これからも頑張ってください、僕も頑張ります」
とでも言えばよかったかなあ、と、若干後悔している。

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